常夜燈や雁木、波止など、江戸時代の港湾施設がほぼ完全な形で保存され、港町として繁栄した歴史を色濃く残す鞆の浦。
往時の姿に想いを馳せながら、その歴史と町並みをぶらりと味わうモデルコースをご紹介します。


『鞆の浦観光情報センター』で観光マップを手に入れよう

このモデルコースを教えてくれたのは、「鞆の浦しお待ちガイド」の吉岡睦雄さん。鞆の浦しお待ちガイドは、土・日・祝日限定で無料ツアーを行っており、約1時間半かけて鞆の浦を案内してくれます。

予約制の個別ツアー(有料)なら、希望に応じてオリジナルの観光コースを提案してくれますよ。申し込みは『鞆の浦観光情報センター』へ。
『鞆の浦観光情報センター』には、パンフレットやマップなども豊富に揃っているので、まずはこちらで情報を手に入れてから観光をスタートしましょう。

鞆の浦観光情報センター
住所/広島県福山市鞆町鞆416
電話/084-982-3200

鞆の浦観光情報センター(ともてつバスセンター)


戦乱の中心となった南北朝期の城跡 – 大可島城跡

現在は陸続きですが、1600年頃までは独立した島だったという大可島(たいがじま)。潮流がひと目で分かるこの場所は海上交通の要所とされ、南北朝時代には大可島城が築城されました。
1342年に城主の桑原一族が足利氏に敗北した後は村上水軍の手に渡り、戦国時代には毛利元就の軍事拠点にもなった場所。
圓福寺というお寺の裏手に回ってみると、弁天島を驚くほど近くに見ることができます。


海の安全を保つ港警備の砦 – 船番所跡

江戸時代初期、初代鞆奉行の荻野新右衛門重富によって造られた船番所。港へ出入りする船を取り締まり、安全を見守る港湾管理事務所のような役割を果たしていました。
現在の建物は昭和30年ごろに建て替えられたものですが、石垣は江戸時代に積み上げられたまま残っています。
(日本遺産「福山・鞆の浦」構成文化財)


高波から船を守る海の石垣 – 波止

船番所下から海に向かってまっすぐ延びている波止。強風や高波から船を守るために設置されたもので、江戸時代から幾度となく造営を繰り返してできあがりました。途中、修理を手がけたのは難工事を得意とする工楽松右衛門。曰く、「これほどの人物に依頼ができるのも鞆の浦が繁栄していた証」とのこと。
(日本遺産「福山・鞆の浦」構成文化財)


仲仕たちが腕力を競った石の重さは数百キロ! – 鞆の津の力石

海運業が盛んだった鞆の浦では、船の積荷を揚げ下ろしする仲仕たちが多数従事していました。力自慢の彼らは、祭礼などの場で力石を使って互いに競い合っていたそう。
沼名前神社に20個、住吉神社に3個の力石が奉納されており、61貫(230kg)から32貫(118kg)と驚きの重さです!
(日本遺産「福山・鞆の浦」構成文化財)


港の風景に欠かせない陸と海をつなぐ石段 – 雁木

鞆の浦の港を語る上で欠かせないのが雁木。雁木とは船を着けるため、陸から海に向けて造
られた石段のこと。江戸時代初期に造設された雁木はすでに埋め立てられてしまいましたが、現在も1811年に造られた『浜の大雁木』を常夜灯前で見ることができます。
(日本遺産「福山・鞆の浦」構成文化財)


今も昔も変わらない鞆の浦のシンボル – 常夜燈

鞆の浦といえば、まず思い浮かべるのが堂々とした姿で港に佇む石造りの常夜燈。1859年に建造されたこの常夜燈は、海中の基礎部分を入れると高さは10mを超え、港に現存する常夜燈として日本一の大きさを誇ります。
夕方には灯りがともり、昼間とは異なる風情が楽しめます。
(日本遺産「福山・鞆の浦」構成文化財)


船大工が腕をふるう船のメンテナンス場 – 焚場跡

貝類やフナムシから船体を守るために船底を焼いて乾燥させたり、船体の修理を行う場を「焚場(たでば)」と呼びます。いわば、ドックのようなもの。
波が穏やかで干満の差が大きいという地理的条件に加え、船大工の技術者が多い鞆の浦は船の修理に最適な土地柄。1800年頃には、年間約900隻もの大型船が焚場に入っていたという記録もあるそうです。


頼山陽が褒め称えた高台からの眺め – 淀媛神社

鞆にゆかりの深い神功皇后(じんぐうこうごう)の妹である淀媛(よどひめ)を祭神として祀る『淀媛神社』。
鞆の港が一望できる境内からの眺めは最高で、江戸時代の歴史家・頼山陽が褒めたたえたとか言われています。
(日本遺産「福山・鞆の浦」構成文化財)

淀媛神社
住所/広島県福山市鞆町後地1596-2

平地区の人々を見守る神様 「淀媛神社」


弘法大師空海が開基した高台のお寺 – 医王寺

坂道や階段を上った後山の中腹にあるのは、鞆の浦で2番目に古い寺院『医王寺』。山門には二体の金剛力士像があり、古くから健脚祈願の寺として親しまれてきました。
医王寺は平安時代に弘法大師・空海が開基したといわれ、本尊である木造の薬師如来像は広島県の重要文化財。6年に一度だけ開帳され、その姿を拝むことができます。
1642年に福山藩主から寄進された鐘楼越しに眺める景色も絶景です。
(日本遺産「福山・鞆の浦」構成文化財)

医王寺
住所/広島県福山市鞆町後地1397
電話/084-982-3076

坂道の先には絶景という名のご褒美が!「医王寺」


鞆湾の全景を見渡す絶好のビュースポット – 太子殿

医王寺の境内からさらに階段を上った先にある「太子殿」。体力的には少し大変ですが、がんばった先には言葉にできないほどの美しい景色が待っています。

太子殿
住所/広島県福山市鞆町後地1397

石段の先に待つのは鞆の浦を見渡す最高の絶景 – 医王寺(太子殿)


諸国遍歴中に立ち寄った稀代の蘭学者 -平賀源内生祠

医王寺の裏参道の途中、見逃してはならないのが『平賀源内生祠』。江戸時代の蘭学者・平賀源内は、諸国遍歴の途中に鞆の浦に立ち寄りました。陶土を発見した源内は、源内焼という焼物の製法を伝授。自身を大明神として祀るよう言い残して去ったことから、生祠が祀られています。


歴史ロマンを感じる重厚な石垣 – 鞆城跡

現在『鞆の浦歴史民俗資料館』がある高台は、かつて鞆城があった場所です。江戸時代、安芸・備後の領主として入部した福島正則が築城し、鞆の浦を城下町として整備。残念ながら鞆城は廃城されてしまいますが、重厚な石垣は今も大切に遺されています。
階段を上った先から町を見下ろすと、伝統的な本瓦屋根が連なる何とも鞆らしい風景が広がります。全国有数の超過密都市だったこの町では、建物と建物の間に隙間がなく軒がぶつかってしまうため、軒高が不揃いなのも鞆の町並みの特徴です。

鞆城跡
住所/広島県福山市鞆町後地536-1

鞆の歴史を凝縮した学びの館「歴史民俗資料館」


そのほか、鞆の浦の歴史をより広く深く学ベるコースや坂本龍馬ゆかりの地を巡るコースもご紹介しているのでぜひご覧ください。