いろは丸事件をきっかけに鞆の浦を訪れ、身分を隠しながら数日間滞在した坂本龍馬。それは、龍馬が京都で暗殺される約7ヵ月前の出来事でした。
今回は、鞆の浦に残された龍馬の足跡をたどりながら、歴史ロマンに浸るモデルコースをご紹介します。


会えたらラッキー! 鞆龍馬が観光客をおもてなし

このモデルコースを教えてくれたのは、「鞆龍馬おもてなし隊」の隊長・大西公孝さん。坂本龍馬に扮し、ボランティアで観光客をもてなしています。
2010年のNHK大河ドラマ『龍馬伝』の放映時、福山市の公募に合格し、「鞆龍馬おもてなし隊」の一員となった大西さん。土日祝を中心に『桝屋清右衛門宅』を担当することが多いそう。龍馬愛あふれる鞆龍馬と、ゆかりの地をめぐる旅に出発です。


いろは丸事件を深く知るためにはまずここへ – いろは丸展示館

1867年、鞆沖合で坂本龍馬を乗せた海援隊の船「いろは丸」と紀州藩の軍艦「明光丸」が衝突。いろは丸は積み荷もろとも沈没してしまいます。
館内には、5回におよぶ潜水調査によって引き揚げられた遺物のほか、衝突事件に関する考察をイラストや写真で紹介。いろは丸の沈没状況を再現したジオラマも展示されています。

いろは丸展示館
住所/福山市鞆町鞆843-1
電話/084-982-1681

鞆に上陸した龍馬の足跡をたどる「いろは丸展示館」


坂本龍馬がひそんだ屋根裏の隠し部屋 – 桝屋清右衛門宅

「いろは丸事件」をきっかけに坂本龍馬をはじめとする関係者たちは鞆の浦に上陸。廻船問屋を営んでいた『桝屋清右衛門宅』は、坂本龍馬が滞在した商家。命を狙われていた龍馬が才谷梅太郎という偽名を使用し身をひそめた、屋根裏の隠し部屋の見学ができます。
高知、京都、長崎など龍馬ゆかりの地は数あれど、龍馬が宿泊した部屋がそのままの形で現存しているのは全国でもここだけ。小さな屋根裏部屋に龍馬の気配が感じられるような気がしました。

ここで大西さんが面白い話を聞かせてくれました。
いろは丸に金塊や銃などを積んでいたと主張し、紀州藩から8万両の賠償金を得た龍馬。しかし、7ヶ月後に暗殺されてしまいます。その賠償金を元にビール会社を興したのが岩崎弥太郎。弥太郎はせめてものお詫びにと、ビールの広告に麒麟を使います。さてこの麒麟を思い浮かべてみると、頭は龍で体は馬……そう!「龍馬」を表しているのです。

史実かどうかは分かりませんが、本当だったらいいのにと思わずにいられないストーリー。時代劇俳優を志していたという大西さんの語りにググッと引き込まれてしまいました。鞆龍馬に出会ったら、ぜひ龍馬にまつわるあれこれを語ってもらいましょう。

桝屋清右衛門宅
住所/広島県福山市鞆町鞆422
電話/084-982-3788

屋敷の天井裏に龍馬がいた!?「龍馬の隠れ部屋」


坂本龍馬が決死の談判を行った地 – 龍馬交渉跡(御舟宿いろは)

坂本龍馬ら海援隊が紀州藩の船長と賠償交渉を始めたのがこの場所。現在は、飲食店となっています。

龍馬交渉跡(御舟宿いろは)
住所/福山市鞆町鞆670
電話/084-982-1920

御舟宿いろは


坂本龍馬も眺めた美しい景色を堪能 – 福禅寺 対潮楼

鞆の浦観光で最も人気の高いスポットのひとつ『福禅寺 対潮楼』。『御舟宿いろは』同様、坂本龍馬ら海援隊と紀州藩が談判を行った場所です。龍馬も眺めたであろう絶景とともに、いろは丸事件に関する展示資料をじっくり見学してみてください。

福禅寺 対潮楼
住所/広島県福福山市鞆町鞆2
電話/084-982-2705

絵画のような絶景を前に写経体験 – 福禅寺 対潮楼


紀州藩士たちが滞在した宿舎 – 圓福寺(大可島城跡)

いろは丸を沈没させた明光丸に乗っていた紀州藩の宿舎となったのが、ここ圓福寺。一般公開はされていませんが、圓福寺の座敷からの眺めは格別です。ぜひ本堂の裏手に回って景色を楽しんでください。

圓福寺(大可島城跡)
住所/広島県福山市鞆町鞆10


そのほか、鞆の浦の今を感じるオシャレなカフェや雑貨を巡るコースや鞆の浦の歴史をより深く学ベるコースもご紹介しているのでぜひご覧ください。