江戸時代の鞆の浦で、各藩との取引の際に、宿泊や生活用品の調達、積荷の売買などを行う廻船問屋を営んでいた『桝屋(ますや)』。その屋根裏部屋には、かの“坂本龍馬”が宿泊したという伝承がありました。
1989年に行われた調査により、1ヵ所だけ天井板が外れ、当時のまま手つかずの状態の隠れ部屋を発見。2010年より整備を進め、2011年から一般公開が開始されました。

龍馬と紀州藩による賠償交渉の経過が記された文書「備後鞆津応接筆記」によると、宿泊したのは1867年(慶応3年)4月23日から4日間。坂本龍馬が「才谷梅太郎」という変名で交渉に臨んだこと、『桝屋清右衛門(せいえもん)宅』に宿泊したことなどが記されています。これは龍馬が京都で暗殺される約7ヵ月前のことです。

龍馬はなぜ鞆の浦に来たのか? それは1867年4月23日、龍馬率いる海援隊の蒸気船「いろは丸」が紀州藩の大型蒸気船「明光丸」と現在の岡山県六島付近で衝突、破損した「いろは丸」を「明光丸」が曳航するも途中で沈没し、鞆の浦に上陸したから。
その時、海援隊は『桝屋清右衛門宅』、紀州藩は『圓福寺』に宿泊。町内の『魚屋萬蔵宅』と『対潮楼』で4日間の賠償交渉が行われるも、未決着のまま紀州藩は長崎に向けて出航。龍馬らもこれを追って交渉を重ね、巨額な賠償金を請求することに成功しました。
この「いろは丸事件」は日本初の蒸気船同士による衝突事故であると同時に、日本初の万国公法による海難審判事件でもあります。


龍馬の隠れ部屋・桝屋清右衛門宅
住所/広島県福山市鞆町鞆422
電話/084-982-3788
営業時間/金・土・日・月、祝日9:00〜16:30
入館料/一般200円、小中高生100円
https://www.masuya-seiemontaku.com