平地区の人々を見守る神様 「淀媛神社」

車1台がようやく通れるほどの道路を進み、赤と青だけの「二つ目信号」をくぐった先に現れる鳥居。鞆にゆかりの深い神功皇后(じんぐうこうごう)の妹である淀媛(よどひめ)を祭神として、古くから鞆の平地区の人たちを守る神として祀られているのが淀媛神社です。

明神山と呼ばれる高台に位置するため、鞆の港が一望できる境内からの眺めは最高で、江戸時代の歴史家・頼山陽が褒めたたえたとか。瀬戸内海を背景に佇む神社にお参りしていると、淀媛神社が鞆湾の守り神であるかのような存在感を感じます。

淀媛神社では年に一度、8月の第1土・日曜日に「渡御祭・還御祭」が行われます。以前は祭り前日に神社がある平町の家々で祭り団子が作られ、親戚や知人に配っていたことから「ダンゴ祭り」とも呼ばれるこの祭り。旧暦の七夕と重なるため、町内には七夕飾りや提灯が飾られとっても賑やかです。

祭りの当日には、平町の住民によって結成された「瓦屋組」「中組」「田之平」(現在は平一丁目~三丁目)がそれぞれ三体(現在は二体)の神輿を担ぎ出し、太鼓のリズムと神輿ばやしに合わせて行進巡行します。境内や広場では神輿が廻されますが、かつては各組の若者が廻すのを競い合い、廻していた神輿を“投げて”喧嘩を始めてしまうことから、「平の投げ神輿」とも呼ばれていました。
太鼓のリズムに合わせて、目の前で神輿が廻される光景は圧巻。はっぴ姿の男たちが、真夏の鞆の浦を盛り上げ、町内の子どもたちが大人たちの神輿に負けじと元気いっぱいに担ぎ廻ります。

鞆町 平地区代表<br>表 章範さん、坂本 弘さん

鞆町 平地区代表
表 章範さん、坂本 弘さん

平町の夏といえば淀媛さんの祭り

「鞆の浦の祭りといえばお手火神事や大祭りがよく知られてますけど、平地区には独自の祭り文化があります。

七夕の頃に実施する淀媛(よどひめ)神社の例祭もそのひとつ。『淀媛さんの祭り』と呼ばれとって、『ダンゴ祭り』って呼ばれることもあるね。祭りの時にもち米を蒸してついた団子を食べる習慣があって、そう呼ばれるようになったんかな。

餅を丸めてぺしゃっと平らにしたら真ん中をちょっとくぼませて、あんこをのせる。今は作ることがほとんどないけど、昔は各家庭で女性たちが作って、町外のお客さんや知り合いに振る舞ようたんよね。あんこと餅を組み合わせたシンプルなものじゃけど、今のように甘いおやつが少ない時代じゃったから、これが本当においしかったですよ。平の祭りでは団子が振る舞われるゆうことで、ほかの地区の人が『ダンゴ祭り』って呼び始めたんかもしれんね。

でも、平町ではあんまりそう呼ぶことはないですよ。だって、ダンゴ祭りってあんまりかっこええ響きじゃないじゃろ?(笑)」

祭りの後は傷だらけ! 100kgの神輿を担いで力自慢

「この祭りは呼び名がいろいろあって、『平の投げ神輿』と呼ばれることもあります。平町は一丁目、二丁目、三丁目と3つに区切られているんですが、昔は「瓦屋組」「中組」「田之平」だった。

それぞれの町内に神輿があって、それを担いで練り歩くんじゃけど、境内や広場ではぐるぐる駆け回るんですよ。『こっちが先じゃ』『抜かれるもんか!』と神輿と神輿をぶつけ合って競い合ううちに、神輿が横倒しになったりして、そりゃあすごい迫力!

神輿を投げとるように見えるもんじゃけ、いつの間にか『平の投げ神輿』と呼ばれるようになったんでしょう。祭りの後の神輿はもうボロボロで、かすがいを打つところがないくらい打って補強して使ってましたよ。
最後に『おしまいしゃんしゃん!!』と言って、神輿を台に打ちつけるのが終わりの合図。これでまた壊れるんよね。淀媛さんの拝殿の床を壊してしまったこともあるんじゃなかったかな。

1950年頃の写真を見てみると、平の港には100を超える船が停泊していたんです。港に二重、三重になって船が停まるような漁師町。気性の荒い漁師、しかも若い男連中が神輿を担いだら、どうしてもそうなるんよな。
力自慢というか、『よそには負けられんど!』という負けん気が生まれる。特に、自分の町内では少しでも長く回したいと欲張って、揉め事が始まるんよ。100kgを超える神輿を担いで大暴れするもんじゃけ、肩は擦りむけて、体中傷だらけ、あざだらけになって。

みんな祭りの後の傷は男の勲章じゃと思っとったし、ケンカせにゃあ祭りじゃないぐらいに思っとったけど、祭りの遺恨を後に残さんのも平のもんのええところ。みんなさっぱりしとるから、いつまでも引きずらんと仲直りも早いんよ。

祭りの開催時期が七夕だったこともあって、子どもたちが七夕飾りを作って飾るのも古くから続く習わしです。かつては各家庭で子どもたちが短冊を書いて笹へ結び、門先へ飾っていました。

祭りが終わった3日目の朝、波止から七夕飾りを海へ流すのが子どもらの楽しみだった。老いも若きも、日常を忘れて心から楽しめるのが祭りのええところじゃね。」

平町ならではの風習を大切に守り継ぎたい

「平町もだんだんと住民の数が減ってきて、祭りも昔と同じように開催することは難しくなっています。それでも、各町に2人ずつおる神事係が持ち回りで総代をしながら、みんなで祭りを取り仕切っています。

神輿を担いだら競い合う3つの町もまとまりがいいのが自慢。2ヵ月くらいかけて笹飾りを作ったり、灯籠を作ったり。子どもたちだけでなく、集会所に集まる高齢者たちも協力しています。やっぱり祭りがあると思うと毎日の生活に張り合いが出るんよ。大変じゃけど、みんなで協力して準備して、祭りに向かって一丸となっていくんがええね。

今は町内ごとではなく、平町全体で神輿が一体と飾り神輿が一体。その代わり、子ども神輿は各町に一体ずつ全部で三体あります。1日目の午後に淀媛神社で御祈祷をしたら、一丁目から三丁目まで神輿を担いで町内を巡行。2日目は反対に三丁目から一丁目の順番で巡行します。
3つの町が協力して神輿を担ぐけど、今の担ぎ手たちもやっぱり自分の町内では長く回したいんじゃろうね。最後は淀媛さんの境内に上がったら祭りが終わってしまうもんじゃけ、石段を上がりたくなくてみんな粘る粘る。世話方が『はよ終わろうやー』と声をかけても、名残惜しそうにいつまでも担いで盛り上がるんよ。時代が変わって、担ぎ手が変わっても、祭りを終わらせたくないと思う気持ちは、今も昔も不思議と変わらん。この楽しい時間がいつまでも続けばええのになーと自分も思っとったもんですよ。

小さい頃から祭りが身近にあれば、今の子どもたちも『大人になったらあの神輿を担ぐぞ』と思うじゃろうし、いつまでも受け継いでいけたらいいね。

ひとくくりに鞆といっても、平には独自の風習が今も残っています。淀媛さんの祭りもそうじゃし、盆踊りに流す音頭もこの土地に伝わる唄がいっぱいある。平ならではの文化や風習を大事にしながら、子どもたちへ残していきたいです。」

渡御·還御祭(淀媛神社例祭·ダンゴ祭り)

会場 淀媛神社
住所 広島県福山市鞆町後地1596-2
日時 毎年8月第1土・日曜日14:00頃〜