鞆鍛冶の始まりは奈良時代からと伝えられています。

瀬戸内海の要衝であった鞆には古くから船が集まり、船や農具の修理を行う鍛冶職人が住み着いたことが始まりと考えられています。その後、中世には刀鍛冶として発展、江戸時代には海運の発達に伴い船具鍛冶へ転換、明治以降、船釘、錨、鎖などの生産で全国に知られるようになります。

明治末期の沼名前神社由来記より「(前略)鞆錨とて其の名声遠近に高く、朝夕鞴(ふいご)の音鎚打つ声の賑はしきも、古を偲ぶたよりなりけり」と記されていて、カーン、カーンと鋭く響く鎚音が鞆の生活に密着していたようです。

小烏神社は、 鍛冶を生業とする人々の信仰から生まれた神社です。年の暮れには「鞴(ふいご)祭」が執り行われ、鍛冶の神様に感謝し、仕事の安全と技術の発展を願う大切な行事でした。

 

鞆に寄寓していた平賀源内は陶土に適した土を発見し源内焼の製法を伝えました。「三宝荒神」の一人として平賀源内大明神を祀った石塔と石造卒塔婆が今も残っています。

発見された陶土は鞆鍛冶の「ホクボ」(火床)や壁土の原料として利用されました。

 

鞆に息づく鍛冶の歴史や信仰、そして江戸時代の才人・平賀源内とのつながり。

歴史を知るといつもの町歩きもちょっと違って見えてきますね。

現在の鞆鍛冶

かつての鞆鍛冶の用具

 

小烏神社

 

平賀源内生祠