悪鬼を祓い、一年の平穏を願う矢を放つ「お弓神事」
「ねーろた、ねろた」の囃子言葉がかかると、烏帽子(えぼし)に素襖(すおう)姿の弓主は約28m先にある標的をきっと見据え、弓を引く。
刺すように冷たい冬の空気の中で、片肌脱いだ弓主の姿が勇ましい祭礼です。
「お弓神事」は新年の平穏を祈る破魔弓が変化した行事で、『沼名前神社』の境内にある『八幡神社』の例祭です。旧暦1月7日(現在は2月第2日曜日)に行われており、1971年には福山市無形民俗文化財に指定されました。
過ぎた一年の悪鬼を祓い、一年の平穏無事を祈る矢は、“甲、乙なし”という意味の文字が墨書された的に向かって放たれます。
祭りの当番は、鞆町内の旧7か町が輪番で務めます。当番町の若者の中で年長者が親弓主に、年少者が子弓主に選ばれます。また小姓(こしょう)2人は小学生、矢取り2人は幼児が務めます。まだまだ幼い子どもが矢取りを任せられることもあり、背中に背負った大きな銅鈴を鳴らしながら歩く可愛らしい姿も毎年の楽しみの一つ。
旧正月を祝う、鞆の浦の真冬の風物詩です。
八幡神社
宮司 奥 茂宣さん
邪気を射祓う弓に甲、乙なし
「鞆の浦を代表する神社である『沼名前神社』、その境内に『八幡神社』はあります。仲哀天皇2年(193年頃)、神功皇后が鞆の浦を訪れた際、弓を射る時に身に付ける道具である稜威の高鞆(いずのたかとも)を奉納されたことに起因して始まった『お弓神事』は年の初めに悪鬼を射祓ってその年の平穏無事を祈る行事と変化して現在に至っています。
弓を射る親弓主と子弓主、小姓、矢取りの3役6人は前年内に当番町の中で選定され、親弓主と子弓主は約1ヵ月にわたって弓を猛練習します。
本来、このお弓神事は邪気を射祓うことに意味があり、弓の腕を競い合うものではありません。矢が的に当たったから縁起が良い、外れたから悪いというものではありません。そのため、的の裏には“甲、乙なし”という意味の組み文字が記してあるのです。とはいえ、弓は危険な道具なので、親弓主、子弓主は弓を射る練習をしています。
矢が外れると参拝者から残念そうな声が上がることもありますが、当たり外れに意味はないと知り、弓を射る姿を見守ってもらいたいですね。」
2日間にわたって粛々と行われる神事
「お弓神事は2月の第2日曜日に行われますが、神事は前日から始まります。土曜日の夕刻、前年の所役から本年の所役に弓を受け継ぐ御弓譲渡式、続いて叙位詣(じょいもうで)が行われます。飾弓・弓主・小姓・矢取り、そして当番町の総代・氏子・祭事運営委員が『申す、申す』と高唱しながら当番町内を一巡し神社へと至ります。社殿での祭儀にはアサリが御供えされ、『よーのめ、よーのめ』の掛け声とともに勧盃式を行います。弓主は『従五位下(じゅごいげ)』という位を授かり、町内へと帰ります。
『従五位下』とは、祭りのために、かつて地方を治めた者の階級のこと。この階級より上が貴族の扱いで、国司や桓武天皇などの軍事貴族を含めた多くの貴族がこの階級だったといわれています。
そして日曜日、素襖と侍烏帽子の所役は、再び『申す、申す、お弓を申す』と高唱しながら町内を一巡して八幡神社へ。神前で祭儀が斎行され、勧盃式が行われます。この時、武士の出陣に倣い、福包(折敷に黒豆・勝栗・昆布・スルメ・田作)を授与。神前での祭儀を終えたら矢場での神事を行い、計12本の矢を射て終了です。参拝客の多くはここで神事も終了すると思われていますが、所役は町内に帰って裃に着替え『申す、申す、お礼を申す』と高唱しながら八幡神社へ参進。無事奉仕できたことのお礼と一年のご加護を祈り、神事全てが終了となります。
境内で弓を射る姿はもちろんですが、叙位詣からお礼詣まで一連の流れをぜひ見ていただきたいですね。」
時代に合わせて変化しながら、本質を決して見失わない
「神事というのは、いつの時代も変わらないように見えて、少しずつ形を変えています。お弓神事が的の当たり外れを競うものではないように、大切なのは長年受け継がれてきた意味や思いではないでしょうか。
1月7日に行われていた頃は、大晦日に選ばれた所役は約1週間町内の会館などにこもり、調理のすべてを男性が手がけた『男料理』を食べて身を清めたとされています。精進潔斎と呼ばれる行いですね。現在は、町内によって異なりますが、それぞれの方法で精進潔斎しているようです。勧盃式にお供えされるアサリを食べる風習も残っており、氏子衆はアサリのぬた和えを食べることが多いそう。
この先いつまでも、今まで通りに神事がとり行えるとは限りません。形にこだわって残そうとするのではなく、少しずつ時代や環境に合わせて変化していくことも必要です。重要なのは根っこの部分。本質を決して見失うことがないよう、鞆ならではの文化や風習を大切に守り伝えていきたいです。」
鞆の浦の町と海を護る祇園さん「沼名前神社」
地元の人から「祇園さん」「ぎょんさん」と呼ばれ、鞆の浦を代表する神社。沼名前と書いて「ぬなくま」と読みます。
海の神である大綿津見命(おおわたつみのみこと)を祀る『渡守(わたす)神社』と、日本の三貴神の一人である須佐之男命(すさのおのみこと)を祀り無病息災を祈願する『祇園社』が明治時代に統合され、沼名前神社となりました。海上安全や漁業繁栄、家内安全、病気平癒、学業成就、安産等のご神徳があるといわれています。
また神社の境内には、かの豊臣秀吉が将兵らのために造ったといわれる組立式能舞台があります。この能舞台は京都・伏見城が廃城となったとき、二代将軍の徳川秀忠から福山城主の水野勝成に譲り渡され、のち1650年代に鞆の津祇園社(現 沼名前神社)に寄進されました。
当初は分解・移動ができるコンパクトな組立式でしたが、現在はこけら板の葺き、楽屋、鏡の間、橋掛りが常設され、固定されました。昭和28年には国指定重要文化財となり、現在でも能楽祭の舞台として使用されています。
その他、第二鳥居は広島県指定重要文化財、石燈籠・力石は福山市指定重要文化財となっています。
沼名前神社では、一年を通してさまざまな祭事が行われます。
毎年2月には一年の平穏無事を祈る「お弓神事」、6月には穢れを祓い清める「茅の輪くぐり」、7月には巨大な松明(たいまつ)を担ぎ石段を登る「お手火神事」、9月には鞆の浦でもっとも大きなお祭りといわれる渡守神社の例祭「おおまつり(秋祭り)」が開催され、町の内から外から人々が訪れ鞆全体が大いに賑わいます。
お弓神事
会場 | 八幡神社(沼名前神社 境内) |
住所 | 広島県福山市鞆町後地1225 |
日時 | 毎年2月第2日曜日14:00~ |
電話 | 084-982-2050(沼名前神社) |
WEB | https://tomo-gionsan.com/ |